人生論

配当金と自己肯定|何者かにならなくても生きていける話

何者かにならなければいけないという空気

大人になったら、何者かにならなければいけない。
学生の頃からでしょうか。いつからか、そんな考えを無意識的に持って生きてきた気がします。

肩書き、実績、年収、フォロワー数。
目に見えるラベルがないと、自分の価値まで薄くなるような感覚。

学生の頃はいい学校へいかなければならない。社会に出れば評価される人間にならなければならない。投資を始めればもっと資産を増やせる人にならなければならない。

気づけば、囚われるようにずっと、ならなければならない何者かを目指していたと思います。


比較するほど、自分が足りなくなる

投資を続けていると、どうしても上を見てしまいます。

もっと資産を持っている人。
もっと早くFIREした人。
もっと自由そうに生きている人。

比べれば比べるほど、まだまだ足りない自分だけが浮かび上がります。

でも冷静に考えると、他人の人生の基準で自分の価値を測る理由なんて、どこにもありません。


何者かにならなくても、生きていける

特別な才能がなくても、大きな成果がなくても、誰かに誇れる肩書きがなくても、今日を無事に終えられて、ご飯を食べて、眠れて
大切な人達と笑えているならそれだけで、生きている理由として十分なのではないか。

10年以上投資を続けてきた今は、そう思えるようになりました。


配当金が教えてくれた、静かな肯定

配当金は、不思議なお金です。

一気に人生を変えてくれるわけでもなく、成功を感じさせてくれるわけでもありません。

でも、何もしていないように見える日々の中で、地道に、そして確実に積み上がっていく。

誰かに評価されなくても、結果を出していないように感じる日でも、口座には、少しずつ数字が増えています。


「今の自分でいい」と思えるようになった理由

配当金を受け取るようになって、考え方が少しずつ変わりました。

頑張り続けなくてもいい。
常に成長していなくてもいい。
今日は何もしなかった、それでもいい。

私にとって配当金は、成果を出し続ける自分ではなく、存在している自分を肯定してくれる仕組みと言えるかもしれません。


何も起きなかった一日も、無駄じゃない

以前は、成果が出ない期間=価値のない無駄な時間、非効率的な時間だと思うことありました。

でも今は違います。

何も起きなかった一日も、特別な進歩がなかった月も、それでも人生は、ちゃんと前に進んでいます。


何者かになる前の自分も、肯定していい

何者かにならなくても、生きていける。

配当金があるからではなく、配当金を通じて、今の自分を否定しなくてよくなったからそう思えるようになりました。

もし今、このままじゃダメだとかもっと上を目指さなきゃとか、そんな焦りを感じている人がいたならば、ほんの少しだけ立ち止まって、
今ここにいる自分をそのまま認めてあげてほしいと思います。

何者かになる前の自分も、ちゃんと生きている。

そして、それで十分な日も、確かに存在します。そうやって積み重なった日々が、気づけば人生になっているのだと思います。

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