最近、X(旧Twitter)で話題になっている投稿があります。
30代・40代で資産1〜2億円を持つ人が本当に増えたけど、実はこのあたりが一番“微妙”なライン。
一般的には十分豊かだけど、富裕層というほどでもない。
高級サービスを受けるほどの余裕もなく、資産収入だけで暮らすには少し足りない。
といった内容です。
この投稿をきっかけに、SNS上では賛否両論が飛び交いました。
「たしかに都心で家族持ちなら1〜2億じゃ足りない」という声もあれば、「いやいや、地方なら十分FIREできる」「1億持って“中途半端”って感覚がおかしい」という意見も。
結論から言えば、「1〜2億円が中途半端かどうか」は、どこに住み、どんな生き方をしたいかで全く違うのだと思います。
中途半端なのは、資産額ではなく「生き方の軸」なのかもしれません。
1億円でも、2億円でも、人生で何を望むのか。
足りないのはお金ではなく、目的の明確さかではないでしょうか。

都会目線では「中途半端」でも、地方目線では「完成形」
まずこのツイートの背景にあるのは、明らかに都市部・高コスト前提のライフスタイルです。
家賃20万、教育費に月10万、外食・旅行も多め。
確かにこの生活水準を維持しながら完全FIREを目指すなら、5億円クラスの資産が必要でしょう。
しかし、地方で堅実に暮らすなら話はまったく違います。
夫婦2人・子ども1人の世帯で、年間支出が300万〜400万円程度なら、1億円の資産でも「取り崩さずに暮らす」ことが現実的に可能です。
たとえば、1億円を配当利回り3.5%で運用すれば年間350万円。
FIRE後も軽く副業やパートで月5〜10万円稼げば、「資産を減らさず生活できる」──これが地方FIREのリアルです。
1〜2億円は“中途半端”ではなく“分岐点”
多くの意見の中で共感したのが、「1〜2億円は守りと攻めのバランスが最も難しい領域」という指摘。
たしかにこの資産規模になると、もう“労働だけ”では増えない、でも“完全リタイア”するにはまだ不安、という微妙なフェーズに入ります。
つまり、「資産を守りながら、どう成長させるか」が問われる段階。
副業を仕組み化するのか、法人化して節税と拡大を狙うのか。
あるいは、配当生活+地方移住で“生活満足度”を上げるのか。
1〜2億円は「終点」ではなく、「戦略を磨くステージ」なのだと思います。
FIREを目指す地方サラリーマンから見たリアリティ
地方サラリーマンにとって、1億円は“夢の到達点”であり、同時に現実的な目標です。
以下は、一般的な地方住まいの家族イメージです。
項目 | 地方サラリーマンFIREの前提例 |
---|---|
居住 | 郊外・持ち家・車2台 |
年間支出 | 約360万円(夫婦+子ども1人) |
想定利回り | 3.5%〜4% |
必要資産 | 約1億円前後 |
状態 | 配当+副収入で生活安定。資産減少リスクは限定的 |
都会の「リッツカールトンに月1泊」的な贅沢はできませんが、時間の自由・精神的な余裕・人間関係の穏やかさを手に入れるには十分。
この「ちょうどよさ」を理解できるかどうかが、FIRE観の分かれ目かと思います。
“資産額マウント”に惑わされないこと
SNS上の議論では、「5億なきゃ安心できない」「1億なんて中途半端」という極端な声が目立ちます。
でも、それは見栄・比較の中での物差し、都市的価値観に過ぎません。
地方でも都会でも同じかもしれませんが、1億円もあれば「仕事を選ぶ自由」も「子どもと過ごす時間」も「親の介護のゆとり」も手に入ります。
“経済的自由”よりも“生活の自由”が手に入るのです。
結論:中途半端なのは「資産額」ではなく「目的」
結局のところ、「中途半端」という言葉が刺さるのは、自分の人生設計とお金の使い方が一致していないときだけです。
1億円で何をしたいのか。
2億円でどんな暮らしを描きたいのか。
そこが明確であれば、「中途半端」という感覚は消えます。
地方サラリーマンが目指すFIREにおいて、資産1〜2億円は“十分すぎる完成形”であり、むしろ「人生の選択肢が一気に広がる自由の入り口」だと私は思います。
守りと攻め、働く意味と時間の自由──このバランスをどう取るかで、資産は単なる数字以上の価値を持ちます。
最終的には、資産額に一喜一憂するのではなく、「自分がどんな暮らしを望むか」に焦点を置くことが、本当に豊かな人生をつくる鍵だと思います。
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