SNSで、FIRE後のゆったりとした一日の過ごし方を紹介する投稿を見かけました。
朝はゆっくりとした時間を過ごし、散歩をして、簡単な食事をとり、漫画やゲームや動画視聴など好きなことに時間を使い、気づけば一日が終わっている
そんな穏やかな生活の描写のツイートでした。
30代前後の自分であれば、間違いなくこう思っていたはずです。
めちゃくちゃ羨ましいと。
そして、こういう生活を手に入れるために、必死にFIREを目指していたはずでした。
ただ、そのツイートを見た今の私は、逆にこれで毎日満たされるのだろうかと、どこか疑問を感じてしまいます。

でも、今はあまり刺さらない
月日が経ち、今の自分は以前の自分とは少し違っています。
資産を築き、FI(経済的自立)を達成した今、 この生活に対して以前ほどの魅力を感じなくなりました。
もちろん、否定するつもりは全くありません。こうした穏やかで自由な生活は、多くの人にとって理想の一つだと思いますし、私もかつて渇望していたからです。
ただ、今の自分の中では本当に欲しかったものはこれだったのだろうかという感覚が生まれています。
自由な時間より「何に使うか」
FIを達成して気づいたのは、私にとっては、自由な時間そのものよりも、その時間を何に使うかの方がはるかに重要であるということです。
時間が増えることで、できることは確かに増えます。
しかし、ただ時間があるだけでは満たされ続けるとは限らず、むしろ目的や意味を見いだせないまま時間が過ぎていくことに、 今の私は退屈さや空虚さを感じます。
暇を埋める生活より「選んだ挑戦」
冒頭のツイート文の生活は、とても穏やかで魅力的です。
ただ今の自分にとっては、どこか時間を消費しているようにも見えてしまいます。
それよりも、自分で選んだ挑戦に時間を使っている状態の方が、しっくりきます。
ここでいう挑戦は、決して大きなものに限りません。
例えば、
といった、小さくても自分で意味づけられるものです。
大きな成功でなくても、昨日より少し前に進んだとか、誰かの役に立てたという本人にとっての何かしらの意味や実感があれば、それだけで十分に価値があると感じるようになりました。
また、完全な暇を楽しむ生活選んで幸せを感じている人もいると思います。 それを否定するつもりは全くなく、今の自分には、もう少し能動性と手応えが必要だと気付いたということです。
FIREは否定しない
もちろん、FIREという選択そのものを否定するつもりはなく、人生の目的を達成するための手段として眩さを放っています。
組織から離れ、時間や場所に縛られない生き方は、大きな魅力があります。
実際に、かつての自分もそこに強く惹かれていました。
ただ、FIを達成した今だからこそ、見えてきたものもあります。
命を「使う」という感覚
少し大げさかもしれませんが、命ある時間をどう使うのかという感覚が、以前よりも強くなりました。
楽で負荷の少ない生活だけでなく、
そんな時間の方が、自分にとっては価値があると感じています。
今は仕事の中の挑戦が楽しい
そして現在の自分は、仕事の中にその挑戦を見つけつつあります。
以前はやらされていると感じていた仕事も、 今は自分で選んで取り組んでいるという感覚に変わってきました。
その中で、試行錯誤することや成果が出ること。そして誰かに価値を提供できること。これらが、確かな手応えとして返ってきています。
まとめ
かつては、自由な時間そのものを求めていました。
しかし今は、どんな時間を生きるかの方が大切だと感じています。
FIはゴールではなく、選択肢を広げるための手段でした。
FIを達成した今、思うのは
ということです。
その上で自分が選びたいのは、何かに挑戦し、少しでも前に進んでいると実感できる時間です。
それが仕事であっても、別の何かであっても構いません。
これからも、自分なりの前に進む感覚を大切にしながら、時間を使っていきたいと思います。
FIを達成したからというもの、生き方について大きな変化が起きてきています。

